東日本大震災復興の東北から学ぶ

前回は、福祉仮設住宅の報告をしましたが、今回は復興についてレポートします。

南三陸町から石巻市に移動途中で北上川にかかる橋を渡りました。多くの子どもたちが犠牲になった大川小学校は北上川の堤防に隣接して校庭と学校の建物がありました。堤防があるため校庭に立っていると大人の背でも川の状況や4キロメートル先の海の様子は分かりません。

津波避難先が3階ではダメだと高台に移動した南三陸戸倉の保育園・小学校、海沿いながら5階の団地屋上に逃げて無事だった部活の高校生、私たちは多くの教訓に学びました。石巻市内に入り、お話を伺った先でも津波避難は「てんでんこ」だからとの言葉が心に残りました。

さて市は、被災前の商店街があった通りから海側は住宅を建てないエリアとしたそうです。殆どが土台だけ残して片付けられていますが、持ち主が不明のためそのままの住宅も数件残っています。また、1階は津波の被害を受けても2階が使えるからと暮らし続けている人もいて簡単には解決しないことも見えてきました。今まで暮らしていた地域に戻れない集団移転では何より住民の合意形成が必要です。これからも私たちは多くのことを東北から学び地域の防災計画に生かしていきたいと考えます。