高津区・宮前区の陸軍東部62部隊の戦争遺構を見学
6月25日梅雨空、傘をさしてのスタートとなった川崎平和ツアーは、生活クラブ運動グループによる共催で呼びかけ、地域で活動する市民団体とも連携して・学習を行ったものです。
まず、宮崎台駅から数分の所にある旧きつね山、民地のため一年前にすでに開発を示す看板が立てられていましたが、山がすべて削られ更地となっていました。言葉もありません。地元に暮らす人によれば以前は山の上まで登れ、祠などもあったと聞きます。この山も含め62部隊が使用していたとされています。住宅地を矢上川に向かって降りていく階段の途中には軍用地を示す境界標があります。階段わきにずっと1本あるだけだとおもっていたら階段にも埋め込まれていました。どうして埋め込んだかは不明とのことでした。馬絹地区周辺に境界標は50本くらいあったそうです。
それから尻手黒川道路を渡り、朝鮮から労働のために連れてこられたといわれる人々が一時暮らしたとされる泉福寺で、軍のための巨大な用水地や軍馬のための施設があったのを記憶していますと住職からお話を伺いました。その馬房など陸軍の宿営地があった現宮崎台中学校や虎の門病院、青少年の家に移動しました。中学校は建替えられたため当時の施設は残っていませんが、青少年の家にはお化け灯籠が移されています。中学校にも小さな灯篭がありますが、これはいわれは不明、この地続きに車寄せなどがあったそうです。
馬房、装蹄小屋、被覆廠、最後に高射砲跡地をみて残った参加者で意見交換をしました。
今回はみやまえ・東部62部隊を語り継ぐ会の皆さんに要所要所で説明していただき、理解が深まりました。